遅れたスタート
私はみんなより遅いスタートでした。
私はもともと卓球部に所属していましたが、部の雰囲気に耐えられず
卓球部を辞め中学の時にやっていたバスケットボール部に
入部しました。入部したのはみんなより5ヶ月も遅れた9月でした。
中学でやっていたのでみんなとも大きな力量の差はないであろうと
甘く考えていました。
しかし夏の辛い遠征を越えたみんなと私では体力面・技術面において
大きな差がありました。
私は中学の頃から体力も筋力も無かったので高校のバスケのトレーニングは
とても辛かったです。
自分だけ練習に付いて行けていないという劣等感でバスケをすることが
直ぐに苦しいものへと変わってしまいました。
部活動中は厳しい声をかけてくる先輩ですが部活が終わると励ますようなことを
言ってくれることもあり、小さいことですがその言葉は私にとって
大きなものになりました。
私は審判をやるようになり、初めは笛を吹くことが出来ずにいました。
しかし審判の経験を積むことによって段々吹けるようになりました。
最初は審判の仕事が嫌でしたが、審判をすることによってまた違った目線で
バスケを見ることができ、またバスケのルールにも詳しくなれたので
今では審判といういい経験が出来て良かったと思っています。
そして数ヶ月がたち私は2年生となり、チームに馴染めた頃先輩達の
最後の大会が始まりました。
先輩達は強く、練習試合でもほとんどの高校に勝っていましたが目標である「BEST32」がけの試合で負け引退してしまいました。
そしてここから私の代の「チーム伊原」が始まり、目標は先輩達の
一つ下の「BEST64」に決まりました。
今までは先輩の指示に従っていただけでしたが、
これからは指示を出す側となり上手く後輩をまとめられませんでした。
夏の遠征では部の物を他校に忘れて来てしまったことやプレイ面に関しても
上手くいかず散々な遠征となってしまいました。
この遠征で私は何度もこの先やって行けるのかと不安になりました。
そしてここから長い冬のトレーニング期間が始まりました。
沢山走り、練習試合を重ね、何度も修正をしました。
そして先日の春季大会で「BEST64」の目標を達成しました。
これから始まる最後の大会であるインターハイ予選では先生方、OB・OG
そしていつも影で支えてくれていた家族に感謝の気持ちを常に持ちつつ、
楽しみながらそして先日の喜びがもう一度味わえるように頑張りますので
応援よろしくお願い致します。
長谷川 涼